実行委員会 稲垣雄史実行委員長の総括

本草薬膳学院創立10周年記念大会並びに日中薬膳シンポジウム

2012年6月24日(日)

記念大会主催:本草薬膳学院創立10周年記念行事実行委員会

日中薬膳シンポジウム主催:本草薬膳学院・日本国際薬膳師会・中国薬膳研究会・北京中医薬大学・河南中医学院


2.十周年実行委員会とは何を目的とする組織なのか・・・顧客はだれか

第2回の十周年実行委員会は2010年11月5日であった。
本十周年実行委員会の役割は何と考えるべきであろうかとの問いかけからはじめ、委員の皆さんと記念行事を行うにあたっての意識統一を行った。

十周年実行本委員会は成果を上げることをもとめられて結成された組織である。成果をあげるには、「対象となる顧客を誰と捉えるか」がポイントになる。
そこであらためて顧客を明確にする作業からはじめた。

第1の顧客は、学院長。
第2の顧客は、薬膳学を(本草薬膳学院あるいは他の学校で)学んだあるいは学んでいる人々、
第3の顧客は、薬膳に興味をもつ一般の人々あるいは第2の顧客から薬膳を学ぶ人々であると考え、議論の末第1と第2の顧客が今回の主要顧客であると設定した。

まず、学院長が10周年記念行事を実施するにあたって求めることをうかがった。
その結果、
1)本草薬膳学院が中医薬膳学の教育・普及に努力してきたことを国内外に伝えたい(実績)。
 1.中医学・中医薬膳学のわかりやすい教科書を作成してきたことを伝えたい。
 2.薬膳の専門家としての人材を数多く育成してきたことを伝えたい。
 3.中医薬膳学講師を養成してきたことを伝えたい。
 4.日本国際薬膳師会へ幾多の協力をしてきたことを伝えたい。
 5.国際交流としてシンポジウムや多くの研修旅行を実施してきたことを伝えたい。
次に、
2)本草薬膳学院と学院で学んだ人々の双方が発展できるような活動をしたい(今後)
 1.卒業生支援のため、個人・各地域レベルでのネットワークづくりをしたい。
 2.日本各地での認定薬膳教室の設置および益々の薬膳の普及につとめたい。
 3.日本各地の郷土料理を薬膳の観点からまとめ、出版したい。
 4.国際交流を行いたい。特に本草薬膳学院は、中国国家中医薬管理局の一級学術団体である中国国際薬膳研究会が認める日本唯一の学校となっているので、中国国際薬膳研究会の会長や北京中薬大の学長あるいは韓国の先生などを招致し交流を図りたい、

等々の希望がだされ、第一の顧客である学院長の現状を把握し、10周年記念行事にあたっての希望と非常に重要と考える事が何であるかをつかむことができた。

記念式典の日程を2012年6月24日に決め、会場候補を日本女子大の桜楓館とし下見を開始することにした。
同時に、催し物の検討と班分けを行い、1)式典・学術交流・発表準備チーム、2)交流準備チーム、3)記念誌・レシピ集準備チーム、4)同窓会名簿チーム、5)総務、を発足させた。
次に、第2の顧客の現状・願望・価値観などの把握・分析からアイディアの提案が始まった。1)分析の結果でてきた中医薬膳の有るべき姿を把握把握したいとの訴え、薬膳をより深く把握し、実践レベルでの守るべき遵法内容を把握したいとの声に応えて、
 1.我々にとって強みである劉先生の描く中医薬膳学のあるべき姿を取り出す方法として、先生にインタビューを行い、それを特集として記念誌に組み込むことにした。
 2.10周年記念講座の開催(その1.弁証施膳力強化。その2.薬膳の日本における遵法)を提案した。

 特に、記念講座は本草薬膳学院の通常のカリキュラムとは別に、10周年の行事として、ひろく伝え開催し、収益を得られた場合は実行委員会の予算に繰り入れ、資金の補填を行う事にして頂くことにし、本草薬膳学院としてもその方向で動き出すことになった。

2)卒業生らは実際にどのような活躍をしているのか? 直接話を聞き参考にしたいとの声に応えて、
 1.交流準備および式典・学術交流の両グループでは、認定教室の発表と質疑をとりいれ、期待に応えるべく検討に入り、方向が見え始めた。

また事務局が陣頭にたって、作業工程表で全体の作業日程が管理されてきた。

平成23年2月の第4回実行委員会では、経験豊富な先生方をアドバイザーとしてむかえ、学院の講師陣も実行委員として参加していただき、有力な人材が加わった。

平成23年3月11日、東日本大震災が発生した。
その影響は非常に大きかった。
本草薬膳学院も地震の影響を受けた。
急遽、十周年実行委員会の幹事会を開催。10周年記念行事をどうすべきかということについて検討・議論を行った。
「今はお祝いをする時期ではない。」「いや、薬膳が役に立つということをプロの立場として示し、国民を元気にするために創立10周年のお祝いの行事はすべきだ」、などの激しい意見が飛び交った。
その結果、幹事会としては2012年6月24日の記念式典の見送り、しかし出版物は出したい。さらに薬膳力をもちいた震災支援活動などもできないか、などの案を用意して、実行委員の皆さんの意見を問うことになった。

平成23年4月24日、第5回の十周年実行委員会で、出席の皆さんの行事を実施したいという強い意見が大勢をしめ、記念行事は実施することになった。
但し、記念式典はやめて、特別記念講演会に置き換え、本草薬膳学院が主催し、午後は交流会として十周年実行委員会の担当として、行事・交流会担当が企画推進することになった。

記念誌では、辰巳先生の特別インタビューを企画し、レシピでは伝統郷土食を中心に据え、それに「耐ストレスの薬膳」「免疫力強化の薬膳」「解毒の薬膳」などのテーマを加えることになった。
震災支援活動は、大きな仕事をいくつか抱えるのは個人的に難しいと考える方が比較的多く、窓口となる機関があれば、ということで治まった。

震災の影響は大きく、実施内容も大きく変更したこともあり、十周年実行委員会の委員を今後も継続して頂けるか否かの意思確認を行うことになった。当日の委員会出席者はみなさん継続の意志を表明した。
式典グループと交流グループが合流するなどグループ構成の変更も行った。ところが7月の実行委員会では、6/24(日)午前は式典、午後は交流会と別々の主催を予定していたが、終日、10周年実行委員会主催ということでまとまった。
当然ながら、予算の見直しもおこなうことになった。

出版物については、絶えず見なおしが行われ、本文とレシピを合本にする方が記念誌の原価が下がるということもあり、合本の方向でまとまった。
レシピの原稿も本文への原稿も集まり始めた。

震災の影響は大きく、記念式典の運営形式が当初の案近くにもどるのに約5ヶ月余かかった。やむを得ないとはいえ、長い揺り返しだった。

卒業生支援のためのネットワークつくりは、個人情報の扱いの難しさもあり、本草薬膳学院の保有する情報を特別なネットワーク(同窓会名簿)づくりに転用するのは、10周年という枠ではなくもうすこし長い眼で検討することになった。

9月になると実行委員会の活動もますますはっきりしてきた。
参加者は、午前の記念式典には300名、午後の交流会には200名、と会場の収容能力目一杯を予測するまでになった。結果としてみると6/24には記念式典の実参加者は296名(中国からの来賓者12名、日本の来賓者14名)交流会は196名ということになり、ほぼ予測通りになった。

一方、北京中医薬大学や中国薬膳研究会の代表を迎え講演も予定された。
学院として2年に1回の日中薬膳シンポジュームを併設し、これを国際薬膳師会と共催するということで、充実した国際交流をはかり、創立10周年の記念行事をより充実したものとした。日本側講演者は小泉武夫氏となり、日本の伝統食を語って頂くこととなった。期待が膨らんだ。

年が代わって2012年1月には記念誌の初稿原稿が全てでそろった。記念誌は定価5000円の値段が印刷されることとなり、2月には初校刷りの校正に入った。

最後まで記念誌の表紙を飾るべき金銀花の決定版の撮影できなかった。
辰巳洋先生のご自宅で鉢植えの金銀花が見事な花をつけていることが分かり(図1参照)、約3時間にわたる撮影の末、完成することができ、5/21には編集グループから出版社に渡すことが出来ほっとしたのを思い出す。

「本草薬膳学院10周年記念行事」の具体的な内容と「本草薬膳学院創立10周年記念講演会・交流会並びに日中薬膳シンポジウム 2012年6月24日(日曜日)の具体的内容は、添付の図2図3に示す。尚、高思華教授は、急な体調不良で代読となったのは残念であったが、氏の早い快癒を祈りたい。また、記念誌の目次を図4ー14-2、レシピの目次を図5に示す。(次ページへ続く)

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