北京中医薬大学日本校友会を東京で設立しました

去る6月17日、北京中医薬大学日本校友会の設立大会を東京において開きました。
北京からは北京中医薬大学の学長、校友会の会長の徐安竜教授、校友会の副事務長閆興麗先生が来日し、大会に臨みました。中国駐日本国大使館教育処公使参事官の胡志平先生、東洋学術出版社社長の井上匠先生、源草社社長の吉田幹治先生、元北京中医薬大学継続教育日本分校理事長の名倉仟先生、北京中医薬大学日本校理事長の植松捷之先生他、中日両国で合わせて54名が来賓と卒業生として出席しました。


徐安竜校長は母校について国内外での発展の概況および、取得した功績を紹介しました。特に米国、ロシアとオーストラリアなどの国々における中医センターの建設に言及し、中医薬の海外での普及と伝播の状況などを話しました。さらに日本校友会の発展に対し、支持と援助を行うと熱意あふれる演説を発表しました。胡志平参事官は日本校友会が中日両国の伝統医学領域での協力と交流を強化して促進するためにプラスに影響することができると挨拶しました。

大会は日本校友会の会則と第一回理事会の候補者名簿の審議を通過しました。本草薬膳学院の学院長の辰巳洋氏(医72)は第1期の会長に、阿含宗中国事務局局長の史学軍氏(針83)は理事長に選出されました。大会で徐安竜校長は日本校友会に会旗を贈呈し、互いに記念品を交換し、記念撮影を行いました。
日本校友会は米国、ヨーロッパ、香港とマカオに続き、北京中医薬大学の第4番目の海外で設立した校友会となり、海外からの祝辞もいただきました。

中医学協会を東京に設立しました

去る4月19日、中医学に従事する日本の華僑・華人で中医学協会を東京に設立しました。これにより日本に滞在する中医学の専門家は、やっと自分たちの団体ができたことになります。


この協会は中国の中医薬大学や西洋医学の大学、約 30校の卒業生 70名あまりによって構成されています。会員は来日後、様々な困難を乗り越えて、勤勉な奮闘によって自分たちの事業を起こして発展させ、日本の地にしっかりとした根を下ろしています。

設立大会には留学生総会会長、元民主党党首の海江田万里氏、大使館参事官、中日友好協会会長、順天堂大学特任教授、江西漢方医薬大学副校長など多数の来賓がお祝いに駆けつけました。

 中医学協会初代の会長は本草薬膳学院学院長の医学博士 辰巳洋氏が就任します。

食事の起源

%e9%bb%84%e5%b8%9d  黄帝が天下を治めるようになって、まず解決したのは食の問題でした。 「史記」には五帝本記には「黄帝藝五種、撫万民」(黄帝は食物の種類を豊富にして、民衆の生活を安定させた)『淮南子(えなんじ)』には「黄帝作竈」(黄帝はかまどを作った)とあり、『古史考』には「黄帝作釜甑」(黄帝は煮物鍋と蒸し鍋を作った)、「黄帝始蒸穀為飯、烹穀為粥」(黄帝は、穀物を蒸してご飯を作り、粥を作った)という記述があります。%e9%bb%84%e5%b8%9d%e5%a7%8b%e8%92%b8%e7%a9%80%e7%82%ba%e9%a3%af%e3%80%81%e7%83%b9%e7%a9%80%e7%82%ba%e7%b2%a5

   黄帝時代にはかまどや鍋だけでなく、脱穀するための石臼や石杵などの道具も作られました。 さらに海水から塩を作る技術ができ、それまで味のなかった食事が美味しいものになりました。

 つまり今、私たちがよく食べているご飯やお粥は、人間が何千年も前から食べていたことになります。 ですから黄帝内経の時代に料理が始まったといってよいでしょう。